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      <title>勝手にニューストピック</title>
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      <description>動物関係のニュース、日々の妄想事</description>
      <language>ja</language>
      <copyright>Copyright 2012</copyright>
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         <title>米国経済はよみがえるか　4</title>
         <description>ケインズ理論は1930年代に大恐慌後の経済社会再建のために生まれ、政府による有効需要管理によって景気コントロールを図る需要重視の立場に立っています。


第二次大戦後の各国の復興にもケインズ理論は役立ち、長く先進国の財政金融運営の指針となってきました。


米国でも繁栄を謳歌した60年代まで、ニューエコノミックス(ケネディ政権の経済政策の総称)との呼び名で、ケインズ理論が実際に応用されていました。


・・・しかし、こうした従来理論では70年代のスタグフレーションを説明できず、的確な政策をとれないとの疑問が生じてきました。


新しい物差しと道具スタグフレーションをどう解決していくのか・・・。


ミルトン・フリードマン・シカゴ大教授らによる「マネタリズム」は自由放任主義、つまり


「経済調整を市場機能に委ね、政府の介入を極力排すべきだ」


・・・と主張。


インフレ抑制や安定成長は「通貨量の伸びを一定にコントロール」することによって達成できると提言しました。


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         <pubDate>Mon, 30 Jan 2012 14:37:55 +0900</pubDate>
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         <title>米国経済はよみがえるか　3</title>
         <description>レーガン大統領は、


「彼ら(カーター民主党政権)がホワイトハウスを離れた時(81年)には状況はどうだったのか」


・・・と切り返しました。


レーガノミックスの功罪はその背景となる時代と切り離しては語れません。


70年代の米国経済は石油危機以降の持続的インフレと不況の併存・・・


いわゆるスタグフレーションに悩んでいました。


実質経済成長率は79年2・5%、80年にはマイナス0・2%となり、失業率は7%台に跳ね上がっていました。


消費物価上昇率はこの2年に11・3%、22・5%、労働生産性はマイナスを記録し、インフレに引きずられて金利は20%台の異常事態が続きました。


なぜ異常事態に陥ったのでしょうか。


原因を突き止めるメスの役割を担ったのが、サプライサイド・エコノミックスと呼ばれる供給重視型経済学・・・


さらに通貨量管理主義とでも言うべきマネタリズムなどの新しい理論です。


従来の総需要管理型のケインズ派経済理論を正統とすれば、レーガノミックスは異端とも見倣される新理論に立脚した点で注目を集めました。

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         <pubDate>Tue, 20 Dec 2011 14:36:07 +0900</pubDate>
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         <title>米国経済はよみがえるか　2</title>
         <description>デュカキス候補率いる民生党はこう国民に訴えました。


ブードゥー(呪術)経済学と無責任な財政政策の結果として、


「米国は世界最大の債務国に転落し、子供達は将来の借金を背負わされた」


「レーガン政権は供給重視の経済学から米国が恩恵を受けると約束したが、逆に勤労者の給料は目減りし若年層の住宅購入は困難になり、貧困者やホームレスが通りに蔓延している」。


また、


「鉱工業の衰退、抵当流れに追い込まれた農家、外国のエネルギーや資本への不健全な依存、投機的な企業買収、外国人による土地や資源の所有増加などを我々は目の当たりにしている」


・・・といいます。


民主党は経済政策を転換するため、


「責任ある財政、輸出増加と雇用流出減を目指す」


「政府は貿易管理に利用できるあらゆる手段を積極的に活用する必要がある」


・・・と訴えました。


こうした認識に共和党は真っ向から反論します。

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         <pubDate>Tue, 22 Nov 2011 14:34:39 +0900</pubDate>
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         <title>米国経済はよみがえるか</title>
         <description>1989年1月20日、この時期にしては寒気が緩んだ日でした。


ワシントンの連邦議事堂前で共和党のブッシュ新大統領の就任式が行われ、正午の「職務遂行と憲法擁護の宣誓」をもって第41代大統領が誕生しました。


10万人の観衆・・・


そしてテレビを見つめる全世界に向かってブッシュ大統領は「こころやさしい国、思いやりのある世界を創るという米国の崇高な目的」を説きました。


共産圏の自由化の波、レーガン政権が軌道を敷いた米ソ軍縮など


「新しい風が生まれ・・・


朽ちた老木から枯葉が散るごとく古い観念も吹き払われた」


・・・と語りかけました。


しかし、内政については


「連邦財政を均衡させ、米国の団結を明確にしなければならない。事態は困難かもしれない」


・・・と苦渋に満ちた言葉が続きます。


麻薬、ホームレス(家のない人)、荒廃した教育など米国社会が抱える重荷はもちろん、国家財政、国際競争力回復にも取り組まなければならない門出でした。


88年11月まで約1年にわたる大統領選挙戦は、レーガン前共和党政権の「負の遺産」である財政・貿易の「双子の赤字」をどう解消していくかが争点でした。


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         <pubDate>Fri, 21 Oct 2011 14:26:41 +0900</pubDate>
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         <title>暮らし方と部屋の関係　2</title>
         <description><![CDATA[アメリカでは、もし子供が約束の時間に帰って来なければ、目覚まし時計が鳴っていても止めることができず、約束を破ったことが家族にわかってしまうわけです。


そのように、家の中のルールというか作法といったものがいろいろあって、子供たちは規律を守りながら、自由の大切さを感じるようにしつけられていくわけです。


それがアメリカの暮らし方でもあるようです。


暮らし方によってひとつひとつの部屋に対する考え方や使われ方がずいぶんと違ってくることがあります。


家を大きく分けると、プライベートなゾーンとパブリックなゾーンの二つに分けることができますが・・・


そのパブリックなゾーンの中でも最もパブリックなのは玄関です。


そこの家を訪問した方が玄関先だけで用をすまして帰ってしまったとすると、その玄関の印象でお家の印象が決まりますから、玄関は「家の顔」ともいえる大事な所です。


玄関に<a href="http://temponotatsujin.jp/" target="_blank">かくれん棒</a>などの照明を飾る人も多いですね。

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         <pubDate>Fri, 09 Sep 2011 11:11:44 +0900</pubDate>
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            <item>
         <title>暮らし方と部屋の関係</title>
         <description><![CDATA[ドイツは町の中もきれいですが、それは、ゴミを捨てたり汚したりする人がいないからではなく、よく掃除をするからです。


汚さないように生活するのではなく、自由にのびのびと生活し、汚れたら掃除をするというのがドイツの人の考え方です。


このように整理整頓・掃除がちゃんとできていれば、部屋はいつもさっぱりときれいになっているはずですし、<a href="http://temponotatsujin.jp/" target="_blank">かくれん棒</a>や家具の素材の持つ美しさも保つことができます。


それがインテリアの基礎でもあるわけです。


アメリカなどの場合ですと、家は子供のためにつくるのではなく夫婦のためにつくるものだということがはっきりしています。


ですから、夫婦のための主寝室にはシャワーもバスタブもあるのに、子供の部屋にはシャワーしかないのが一般的です。


そのために、もし子供たちがバスタブを使いたいときには、ちゃんと両親のバスルームを許可を得てから使い、「ありがとう」と言って出ていきます。


また、外出にしても、子供が「何時に帰るから」と約束をして外出すると、その時間に目覚まし時計をセットして子供部屋に置いておく家もあります。

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         <link>http://apec-wg.com/2011/08/post_30.html</link>
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         <pubDate>Wed, 10 Aug 2011 11:11:11 +0900</pubDate>
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         <title>反転した世界情勢の認識　7</title>
         <description>外交部の立場を代表する雑誌として知られる『国際問題研究』。


これは、90年10月発行の第4期号で、世界は目下、戦後ヤルタ体制が崩壊して多極化の方向に進んでいるとする見方を提示していました。


ただし、この体制移行の過渡期には世界戦争勃発の危機を含めて、なお多くの軍事的、政治的な衝突と混乱が引き起こされる危険性があるとしています。


さらに世界の矛盾は、依然、社会主義と資本主義の対立、および先進諸国と発展途上国の南北間矛盾によって構成されていると指摘することも忘れていません。


・・・この点からすると、防衛的な意図を持って積極的な第三世界外交を展開するという線では、指導部内に意見の食い違いはなかったということです。


・・・ここでの問題は、天安門事件をアメリカを中心とした西側勢力の外部からの陰謀によって起きたとみなす見方が、その後の東欧の激動を経ることによって、いっそう深化すること・・・


むしろアメリカの全般的な世界戦略として、中国だけでなく社会主義圏全体を平和的に資本主義体制へと移行させようとする意図が働いているとする見方に変わりつつあることでした。


このような認識の転換はその後さらに進むことになり、ひいてはアメリカの意図が社会主義圏のみならず、脱冷戦の過渡期全般において全世界規模での新秩序形成に主導的な地位を占めようとする点にあるとする認識を生むまでになっていきました。


・・・いずれにせよ、90年末までの段階では、なお中国指導部内に世界情勢をめぐって必ずしも統一した認識が確立していなかった可能性が高かったのです。

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         <link>http://apec-wg.com/2011/07/7_1.html</link>
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         <pubDate>Tue, 05 Jul 2011 18:42:39 +0900</pubDate>
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            <item>
         <title>最大の弱点</title>
         <description><![CDATA[『AKIRA』


原作・脚本を兼ねた大友監督自身、「ゴチャゴチャしていて、観終わった後に思い出してみると形になっている」ものを作りたかったと言っています。


その狙いは十全に果たされており、現在に至るも世界中で評価されるカルト作品たり得ているのだが、実はそれこそが本作の最大の弱点でもある。


カルトはカルトでしかなく、決して一般受けはしないという現実・・・。


そんな作品はいくらでもある、というより、そんな作品こそ映画ファンは愛し、史上の傑作として語り継ぐものです。


『2001年宇宙の旅』しかり、『ブレードランナー』し称り。


そしてそれらの作品は、長期的には興行側に富をもたらすものの、短期的には戴大な負債を残すという宿命があります。


さて、話は変わりますが、最近<a href="http://www.rental-station.jp/" target="_blank">ビデオカメラ レンタル</a>にはまっていますｖ楽しいんですよね。

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         <pubDate>Mon, 20 Jun 2011 14:11:16 +0900</pubDate>
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         <title>神霊や死霊・生霊</title>
         <description><![CDATA[とある方は以下のように述べました。


神霊や死霊・生霊、人狐や犬神が古来の信仰にその根をもっていたのに対し、この項で扱う式神や護法は輸入ものの愚霊だということができます。


比較的出自がはっきりしている護法のほうからみてみよう。


それはその名が大きな手がかりとなります。


護法とは読んで字の如く「法を護る」神霊であるが、この場合の「法」は法律ということではない。


インドの古語であるサンスクリットのダルマの訳で、仏教の核心とか真理という意味を表わす言葉です。


その法を護るというのだから、護法は仏教の守護挿の一種ではないかと推測することができよう。


実際、毘沙門天や仁王といった仏教の守護神は「護法神(天)」と呼ばれたりもするのです。


ところで、世の中には色々な占いがありますが、<a href="http://www.e-aine.com" target="_blank">電話占いならココ</a>だと言うところに行ってみたいです。

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         <pubDate>Sun, 19 Jun 2011 14:49:31 +0900</pubDate>
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         <title>反転した世界情勢の認識　6</title>
         <description>前回かいたような積極外交は、あくまで中国が認識する危機に対抗する手段として展開されたものであることを知る必要があるでしょう。


現に同じく3．で用いられている米中ソの「大三角関係」という言葉は、元来、ブレジネフ議長が死んで間もない、1984年に宙郷が提起した言葉で、依然、冷戦認識が色濃く反映された言葉でした。


当時は彼自身、


「米ソ関係はたいへん緊張しており、両国の戦争準備は強化されつつある」


・・・との国際情勢認識を示していたのです。


ソ連の当時の状況は、ブレジネフの後を継いだアンドロポフが短日裡に病に倒れ、さらにそれをチェルネンコが継ぐというきわめて不安定な政治状況にありました。


いわば過渡期にあったわけです。


ブレジネフ時代の対外拡張主義の政策が持続されるのか、あるいは撤回されるのか、なお不確定な時期だったからです。


ですから、90年になって再びこの「大三角関係」という言葉が用いられるようになったということは、84年時期の冷戦認識に近いものが復活したと見ることもできるでしょう。


むろん、こうした冷戦認識への回帰がこの90年春の段階で、ただちに指導部内で全面的に支配的になったとは必ずしも言えません。


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         <pubDate>Mon, 13 Jun 2011 18:41:19 +0900</pubDate>
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            <item>
         <title>反転した世界情勢の認識　5</title>
         <description>同総会は東欧各国の共産党の例に倣って、ついにソ連共産党までが一党独裁制を放棄する行動綱領を採択したものです。


それまで、なおゴルバチョフのペレストロイカを辛うじて社会主義制度下の改革の枠内にあるものと見ていた中国指導部は、この行動綱領の採択にきわめて大きな衝撃を受けることになりました。


この直後に中国共産党中央は内部幹部向けに「ソ連共産党の2月中央委員会総会に関する参考資料」を通達し、次の3点の確認を行っています。


1．ゴルバチョフの推進するペレストロイカは、社会主義ソ連を資本主義に「平和的に転化する」ことをめざしており、西側資本主義国もこれを歓迎している。


2．アメリカを中心とした西側の「国際敵対勢力」は、東欧・ソ連を屈服させたのち、いよいよその矛先を中国に向けてきており、闘争は複雑で激化してきている。


3．中国は米中ソの「大三角関係」を巧みに処理しつつ、反帝・反覇権の立場に立つ第3世界諸国および社会主義諸国との関係強化に努める。


・・・というものでした。


このうち3．については、実際に中国はこの直後から第三世界諸国との外交関係を活発化させ、90年3月にナミビア、7月にサウジアラビア、10月にシンガポール、11月にマーシャル諸島共和国・・・


と、それぞれ国交を樹立する一方、65年以来国交を断絶していたインドネシアとも8月に国交を回復していました。

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         <pubDate>Mon, 23 May 2011 18:40:10 +0900</pubDate>
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            <item>
         <title>反転した世界情勢の認識　4</title>
         <description>1989年12月末に当時の外相は雑誌『瞭望』記者とのインタビューに答えていあｍす。


87年12月のINF全廃条約、さらに89年12月の米ソ・マルタ首脳会談をはじめとして依然、軍縮平和への動きが見られます。


米ソ両国の国力の低下によってもたらされた相対的に世界多極化への基本方向は動かないとの見解を表明しています。


しかしその一方で、外相は89年秋以後の東欧の激動によって東西関係に新たな不安定要因が加わったことを指摘することも忘れていません。


さらに目下、「資本主義の勝利、社会主義の敗北」という情勢認識が国際世論の一部に台頭。


いまこそ社会主義国家を平和的に資本主義国家に転化させる「歴史的な好機」であると見なす勢力が現れたともしました。


この外相の見方こそ現在、「平和転化論」と呼ばれているものです。


・・・結論として外相は、全体の趨勢としては緊張緩和の方向にあるものの、資本主義と社会主義の間の闘争は今後いっそう複雑で激しいものになり、いったん処理を誤れば地域的な動乱など不安定な局面を引き起こすとしたのです。


このような国際情勢認識をさらに厳しくする効果をもたらしたのが、1990年2月5日から7日まで開催されたソ連共産党中央委員会総会でした。

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         <link>http://apec-wg.com/2011/04/4_1.html</link>
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         <pubDate>Tue, 05 Apr 2011 18:39:07 +0900</pubDate>
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            <item>
         <title>反転した世界情勢の認識　3</title>
         <description>89年から中国政府は軍事費の大幅増額を計上するようになり、一挙に軍拡の方向に反転を開始しています。


・・・とりわけ89年初夏の民主化運動と天安門事件をくぐったあとの時点になると、その様相は一変してくるのです。


前回の90年4月の論文が、88年段階の銚曾蔭論文に比して本格的な戦略転換を求める主張を行っているのもそのためです。


1989年の天安門事件は、とりわけ郵小平や楊尚昆、王震といった一部実力派の軍長老の世界情勢認識を大きく変えるきっかけをつくりました。


前述のように、それまで国際情勢について比較的楽観的な見方をとるようになっていた郵小平指導部は、この事件を境にその世界認識を修正し、相当程度に悲観的な見方へと逆戻りを開始したからです。


事件直後の6月9日に郡小平が戒厳部隊の幹部を接見した際に語った「大気候、小気候」論。


・・・すなわち国際情勢(大気候)と中国国内の情勢(小気候)があい呼応して中国共産党と社会主義政権の転覆を謀る反革命暴乱が引き起こされたとする見方・・・


これこそ、この世界情勢認識の反転を象徴するものでした。


むろん、郭小平指導部も国際情勢が全面的に米ソニ極支配の冷戦体制に逆戻りしたという見方をとっているわけではありません。

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         <link>http://apec-wg.com/2011/03/3_2.html</link>
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         <pubDate>Fri, 25 Mar 2011 18:37:57 +0900</pubDate>
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            <item>
         <title>反転した世界情勢の認識　2</title>
         <description>この必要に応えたのが、次のような議論でした。


すなわち、第一には、従来、中国が輸出主導型戦略に基づいて先進国輸出向けに生産してきた労働集約型製品は、現在、アメリカ、EC諸国などに保護貿易主義が急速に台頭したこと。


さらには世界経済・貿易が低成長期に入って各国の輸入購買力が低下したことなどと相まって、市場を大幅に狭める結果になってきているという点。


・・・第ニは、多くの発展途上諸国が中国と同様の輸出主導型戦略を採用し、その労働集約型製品が国際市場に参入してきたために、競争が激化しているという点。


第三に、本来、労働集約型製品だった軽工業や紡績業製品、アパレル衣料品などが、マイクロエレクトロニクスやロボットの応用によって労働節約的技術の導入を可能とし、このためNIESや先進諸国もこの産業分野に再参入する傾向を見せはじめていっそう競争が激化していること。


そして、むしろ製品の質を争う時代になりつつあるという点。


・・・以上の諸点から、いまやハイテクをはじめとした技術革新を進め、輸出製品の質的向上、高級化を図る一方、国内市場の開拓にも努めねばならないなどの提言がなされたのでした。


こうした論点はその後も繰り返し現れ、のちに1990年に入るといっそうトーンを強めます。


明確に従来の輸出主導型戦略が限界に達したとして、戦略の全面的修正を主張する論点までを生み出すようになっていきました。


たとえば『人民日報』90年4月14日付の論文などがその代表でした。


いずれにせよ、88年の時点まではハイテク産業の育成重視の戦略転換が徐々に図られるようになったとはいっても、依然、民需中心でまったく軍事的意味合いは伴っていなかったのです。

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         <pubDate>Sat, 05 Feb 2011 18:36:49 +0900</pubDate>
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            <item>
         <title>反転した世界情勢の認識</title>
         <description>たとえば1988年12月の『北京週報』第51号に掲載されたの論文「世界は相対的緩和の段階に」。


これには、明確に米ソニ極支配の時代は終わったと認識し、今後は米、ソ、日、西欧の四極構造に移りつつあると指摘していました。


それとともに、従来のような軍備競争は減速して、今後はむしろ経済・科学技術をめぐる総合的国力の競争が支配的になるとしていました。


・・・この限りで、同論文は軍事的意味合いを除いてハイテク技術の国際競争に中国も積極的に参入していくという戦略転換を提唱したのでした。


なお彼は、84年に中国の対外戦略を決定する国務院直属のシンクタンクとして発足した国際問題研究センターの総幹事。


同センターの創設当初から89年2月に他界するまで一貫してその職にありました。


ところで、彼のように米、ソ、日、西欧という四極の勢力が科学技術面で国際競争を行うようになったというだけで、中国のような貧しい発展途上国が背伸びしてまでハイテク技術競争に参入する政策転換を断行する理由として十分と言えるでしょうか。


・・・やはり、労働集約的な輸出産業部門を育成して、外貨を稼ぐほうがまだ賢明な選択だとする反論に答えうるものとは思えません。


そこで、この政策転換には、もう一歩進んだ理由づけが必要でした。

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         <pubDate>Tue, 25 Jan 2011 18:35:26 +0900</pubDate>
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