冷戦後の中国の動き
中国は元来、核兵器開発についても、1964年10月に原爆実験に成功して自前開発した国です。
58年8月に当時ソ連のフルシチョフ第一書記が提起していた米ソ平和共存路線に毛沢東が猛烈に反発し、両国関係が一挙に悪化して中ソ軍事技術協力協定が事実上破棄されました。
そのため、核の自前開発に着手して約6年後のことでした。
その後、中国は1970年1月に自前開発のICBM(大陸間弾道ミサイル)、次いで同年4月に同じく自前の人工衛星の打ち上げ、さらに74年8月には巡航ミサイル装備の原子力潜水艦の配備に次々に成功していきました。
毛沢東路線下に農業では人民公社政策を中心に自力更生モデルを採用していました。
その一方、工業部門に関しては重化学工業化を最優先にした中央政府の主導性の強い経済計画が採用されていたため、集中的に軍事技術開発にあたることができたのです。
文化大革命(文革)の混乱の最中においても、こういう軍事にかかわる先端技術の開発部門に関しては、毛沢東は断じて造反派による混乱波及を許さなかったのです。
・・・こうした過去の経験が示すように、中国のような発展途上の経済を抱えた国において、先端的な技術開発とその軍事面への適用を実行しようとすれば、必然的に中央の強力な主導性が必要とされてくるでしょう。